会報第三号
- 新潟居留地研究会 ホ-ムペ-ジ
- 2022年2月2日
- 読了時間: 13分
会報]第3号
新潟居留地研究会 会報 第 3 号 2021.3.1 発行
発行所:新潟居留地研究会
(会長:山田耕太 敬和学園大学学長)
発行人:白砂誠一(事務局)
2020年度活動報告
① 3月28日 2019年度総会
(会長:山田耕太 書記:白砂)、
第1回新潟大会打ち合せ 於:新潟教会
② 6月27日 第2回新潟大会打ち合せ
於:新潟教会
プログラム、チラシ、泉慶宿泊の件
③ 8月22日 第3回新潟大会打ち合せ
於:新潟教会
延期の件
(2021年9月 17 日、18 日
於:敬和学園大学)
④ 11月7日 第1回研究報告会
発表者:鈴木孝二氏 於:敬和学園大学
主題「北越学館の教育と経営
館長加藤勝弥を中心に」
⑤ 3月 1日 会報第3号
⑥ 3月27日 2020年度総会
(会長:山田耕太 書記:白砂)、
第4回新潟大会打ち合せ 於:新潟教会
集合 月岡温泉泉慶 駐車場(午後1時集合)
2 2020年度会計報告 別紙参照
3 2021年度活動計画、
① 全国大会新潟大会
9月 17 日(金)於:敬和学園大学
18 日(土)於:新潟市内バスツアー
② 会報発行(年二回)、次回9月に発行予定。
研究報告の投稿を募ります。
(白砂までメールで連絡して下さい)。
4. 新潟居留地研究会 組織
(会長)
山田耕太 〒957-8585 新発田市富塚 1270 0120-26-3637 敬和学園大学学長
(事務局)
白砂誠一 〒943-0841 上越市南本町 2-13-15 025(522)2306 前日本基督教団村上教会牧師
現在 会員10名
5. 研究報告
「パーム宣教師の活動」(年表)
*「宗教改革からのメッセージ」(改訂版) p.77以下に記載している年表に加筆している。
発表者:白砂誠一(添付資料を参照)
「ウェーバーの禁欲的プロテスタンティズムと
現代社会」発表者:白砂誠一
1. はじめに
今回の小論文は、2020年に出版した拙著『宗教改革500周年と新潟開港150周年を覚えて 宗教改革からのメッセージ ~プロテスタンティズムがもたらした教会改革と近代社会の形成、そしてこれからの可能性~』(改訂版)銀河書房2020、に記した宗教改革者マルチン・ルターによる福音の再発見による近代化のプロセスを説明する必要を覚えて、今回この新潟居留地研究会の会報第三号に発表することにした。
ドイツの法学者、経済学者、社会学者のマックス・ウェーバー(MaxWeber ,1864~1920)の没後100年を迎えている。このことを覚えて、2020年5月にマックス・ウェーバーの生涯と思想に関する著書が相次いで出版された。それは、下記の2冊である。
『マックス・ウェーバー 主体的人間の悲劇』今野元著(岩波新書)
2020年5月20日 第1版発行
『マックス・ヴェーバー 近代と格闘した思想家』野口雅弘著(中公新書)
2020年5月20日 初版
現代ドイツ思想家の一人として覚えられているマックス・ウエーバーであるが、彼の主著『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』(註1)において明らかにされた資本主義経済の倫理をルターとカルヴァンによってもたらされたプロテスタンティズム(信仰復興運動)(註2)としている。ウェーバーの説くこのヨーロッパ近代の倫理を、日本人は好んで受容してきた。ウェーバーの全集がドイツで出版された際に、買い求めた読者の三分の一が日本人であったと言われる。明治維新後の日本の近代化は、アメリカ経由のプロテスタンティズムによる恩恵が大きいと言われる(註3)。が、その一方で、ヨーロッパ源流のプロテスタンティズムによる近代化による恩恵について語られる。特に、日本の政治制度に対する影響を、ドイツの共和制やイギリスの会議制から受けている。また、医療については、オランダ経由でドイツの医学と医療を取り入れる一方で、イギリスから近代の看護療法を受容している。アメリカ経由のプロテスタンティズム(トレルチは「新プロテスタンティズム」と呼ぶ(註4))は個人的で主体的であるが、ヨーロッパ源流のプロテスタンティズム(トレルチは「古プロテスタンティズム」と呼ぶ(註5))は国家的である。
アメリカ経由のプロテスタンティズムは、カルヴァンの思想、特に「予定説」に基づくカルヴァ二ズムがその運動の源泉である。カルヴィ二ズムによる信仰復興運動は、ヨーロッパ大陸に留まることができずにイギリス海峡を渡りイギリス、スコットランドに影響を与える。さらに、新大陸の発見に伴ってアメリカへとその精神が持ち運ばれたのである。その結果、新大陸でプロテスタント国家が建設されたのである。
アメリカからもたらされたプロテスタンティズムは、個人的で主体的な性格を担いエキュメニズムを指向していた。それに対して、ヨーロッパ源流のプロテスタンティズムは、カルヴァンの思想を受けながらも、ルターの思想に多くを担っている。ルターによる改革は、中世のカトリック教会の中から起こされた。すでに内部改革の機運があったのであるが、ルターの改革では、国家的な改革をもたらすことはできなかった。そのような国家的なプロテスタンティズムの性格が、明治維新を迎えた日本人の国家的志向と合致したのである。また、日本のプロテスタント教会も新島襄、植村正久、内村鑑三らによって、外国のミッションに依存しない自主独立した日本の教会の姿勢が求められた。当然、国家的な志向がもたらされ教派的な教会形成が行われた。このように、日本のプロテスタント教会も国家的であって、ヨーロッパ源流のプロテスタンティズムと合致したのである。
2.プロテスタンティズムの倫理とは
ウェーバーが提唱するプロテスタンティズムがもたらす倫理は、前掲書の二人の著者が仮説であると認めている。とすれば、彼の発見した倫理は、主観的な価値理念と言うべきであるが、同時に、彼はその理念に経験の知を媒介する客観的な価値理念であることを明らかにしようとしている。つまり、カント主義的な認識(先見的な知)を説明するために、自らの経験、例えば、家系における成功物語の中に実証された経験的な知を示そうとしているのである。言いかえれば、カント主義(先見主義)による発見を、彼は歴史を重んじるヘーゲル主義(経験主義)で実証しようとしているのである。このようなウェーバーの論理展開には、説明しがたい緊張、空白、飛躍があることが指摘されている(註6)。カントによって哲学思想にコペルスニクス的な転回がもたらされたと言われる。カントがもたらした認識論におけるコペルスニク的転回は、経験的な知に先んじる先見的な知である。ウェーバーは、見出した先見的な知である倫理(主体的な理念)を、実際の資本主義社会がもたらした自らのウェーバーの成功物語の中にある経験的な知によって実証しようとしている。この方法論において、もはや彼はカント的な知に留まることはできない。ヘーゲル的な歴史主義、言いかえれば、歴史的で客観的な世界観に目覚めていると言える。このようなウェーバーの方法論に関心を持っているのが、心理学者のエーリック・フロム(1900~1980)である。
3. 心理学者フロムとウエーバー
エーリック・フロムは、『自由からの逃走』(1941)の著者として知られる心理学者である。フロムが依拠しているのが、心理学者フロイトの精神分析とウェーバーによるカルヴァにズムの解釈であった。フロム自身の説明を紹介しておく。
個人は疑いと無力さの感情を克服するために、活動しなければならない。このような努力や活動は、内面的な強さや自信から生まれてくるものではない。不安からの死にものぐるいの逃走である」。(『自由からの逃走』エーリック・フロム著 日高太郎訳 東京創元社 1952 99頁)
フロムが指摘する心理学的要因を、ウェーバーは禁欲的プロテスタンティズムの心理的起動力ととらえている。カルヴァンの予定説では、善行をなしていても滅びに定められているかもしれない。また、逆に、悪行をなしていても救いに定められているかもしれない。自分が救いに定められていることを確信するためには、時間を惜しんで労働(善行)に励み、その結果によって与えられる賜物(富)において確信を得ることができるのである。ルターによって示された職業観は天職であり、天、つまり神から与えられた仕事としての職業(ドイツ語でBeruf)として示されていた(註7)。中世的な職業観である徒弟制度によるものではないことを明らかにしている。その天職に召された僕として、労働と倹約に禁欲的に励むことがプロテスタンティズムの倫理による救済の確信を得るための心理的起動力となり労働と倹約にかき立てるのである。(註8)。
4.カントとヘーゲルの間で
では、ウェーバーはこの心理学的起動力をどこで発見したのであろうか。敬虔なプロテスタント的な信仰者が金儲けをひどく憎みながら、実際には事業に成功したモデルが、まさにウェーバーの家系だったのである(註9)。母方の家系は、フランスのユグノーでウェーバーの祖母エミーソの父カール・コルネワウス・スーシャーは、禁欲的プロテスタンティズムを体現した人物であったと思われる。が、この人物が『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』の実在するモデルとは言い難く、複数の事例から要因を見出して再構成していると思われる(註10)。このような家計の成功の観察から、ウェーバーの明らかにする先見的な知と経験的な知を、プロテスタンティズムの倫理がもたらした賜物と言えよう。
5.新渡戸稲造とウエーバー
1899年に渡米していた札幌農学校出身者で、クラーク博士(註11)から影響を受けた新渡戸稲造が、アメリカで『武士道の精神』(註12)を英文で発表している。新渡戸はアメリカでクェーカー信徒となっていたが、武士道の精神にクェーカー信徒が抱く禁欲主義と平和主義を見出したのである。そして、ウェーバーもアメリカ旅行中にクェーカーの信仰に関心を持ったのである。彼の主著『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』(前掲書)の中で、次のように述べている。
プロテスタント諸派のうちで、特に『非世俗的なこと』がその富裕なこととともに諺のようになっているある諸教派、クェーカーとメノナイトの場合に、宗教的な生活規則が事業精神のきわめて高度な発達と結合している事実である。(註13)。(『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』(前掲書)32頁)
今日、改めて新渡戸の『武士道の精神』の英文(“BUSHIDOU The Soul of Japan”新渡戸稲造著 フィラデルフィア1899)が翻訳されるのは、未だに日本人がこの精神を求めている表れであろう。このことと、ウェーバー没後100年を迎える中で、再び彼の主著『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』、
“Dieprites-tantische Ethik und der Geist des Kapitalismus”MaxWeber, 1920.が注目を持たれているのは無関係ではないだろう。残念ながら、新渡戸とウェーバーは出会っておらず、新渡戸は『武士道の精神』でウェーバーを紹介していない。が、新渡戸が武士道の精神を見出したクェーカーの信仰にウェーバーが禁欲的プロテスタンティズムを見出しているからである。
6. おわりに(まとめ)
この論文で、ヨーロッパ近代がもたらした資本主義の精神で明らかにするウェーバーが用いる「プロテスタンティズムの倫理(Dieprites-tantische Ethik)」が、カント的な先見的であるとともに、ヘーゲル的な経験知でもあることを指摘したうえで、心理学的起動力である禁欲的プロテスタンティズムの倫理(主体的な理念)を明らかにしてきた。すなわち、プロテスタント信仰にある禁欲主義が、先見的な知であるとともに経験的な知であることを明らかにしてきた。ウェーバーは自分の家系(ユグノー)に、そのモデルを見出し、その要因を洞察し再構成を試みている。(「2.プロテスタンティズムの倫理とは」「4.カントとヘーゲルの間で」を参照)。
ウェーバーが見出した資本主義の精神をもたらす禁欲的プロテスタンティズムの倫理(主体的な理念)を、日本人は好んで受容してきた(『マックス-ウェーバ---受容史の研究 1905-1995』ヴォルフガント-シュヴィント著 野口雅弘訳 みすず書房 2020)。それは、日本人の精神観である武士道の精神を好んで受容することと同じ理由があると考えている。新渡戸が新たに展開する道は、武士道の精神を「平民道」とする新地平(パラダイス)である。一般の庶民が武士道の精神を継承することを願っている。「5.新渡戸稲造とウェーバー」で述べたように、新渡戸は武士道の精神にクェーカー信仰の禁欲主義と平和主義を見出していた。そして、ウェーバーはこのクェーカー信仰に、カルヴィ二ズムの禁欲主義を見出していた。日本人の精神観である武士道の精神(今日では「平民道の精神」)は、アメリカにおける資本主義世界をもたらした類似した禁欲主義(勤労、節制など)であると言えよう。それゆえに、筆者は明治維新後の日本の資本主義社会を支えてきた精神として「武士道の精神」(平民道の精神)と考えたい。が、ウェーバー自身は、日本の資本主義の精神として浄土真宗の信仰にある禁欲主義に注目していることを、大塚久雄が彼の著書の中で言及している(註14)。もちろん、このことを無視することはできない。また、大塚久雄も日本の近代化をもたらした日本人の精神として浄土真宗の精神に関心を持っている(註15)。
ところで、ウェーバーは、このプロテスタンティズムの禁欲主義は、そもそもユダヤ人社会(『古代ユダヤ教』ウェーバー著)にある禁欲主義が、新約聖書の時代と初代教会、さらには中世のカトッリク教会のカトリシズムを通して、宗教改革時代の禁欲主義に継承されたと考えている(『古代ユダヤ教』マックス・ウェーバー著 内田芳明訳1962みすず書房)。また、『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』を書く動機の一つにマルクスの『資本論』への批判があると思われる。個人の倫理によって社会全体が反映することを両者は同じように認識しているが、マルクスが共産主義へと向かう一方で、ウェーバーはマルクスが阿片と呼んだ宗教(プロテスタント信仰)によって資本主義へと進むのである。ウェーバーは、古代ユダヤ教のみならず世界宗教の経済倫理を明らかにしようと、イスラム教の他、中国、インド、日本に関心を持ち『儒教と道教』『ヒンドー教と仏教』を叙述している。彼の主要論文「道教とピューリタニズム」はアジアにおける禁欲主義を明らかにしようとしている。
最後に、ウェーバーの生涯について触れておこう。1864年にドイツの裕福なユグノーの家に生まれた。2歳の時に脳膜炎に冒される。早熟な少年と成長する。マキャベリ『君主論』を読み、スピノザ、カントの哲学を学ぶようになる。18歳の時にハイデルベルグ大学に入学して、法学、経済史を学ぶ。19歳の時に1年間、軍隊生活を送る。25歳の時に「中世合名会社史」で博士号を取得。29歳の時に結婚。30歳でフライブルグ大学の経済学の正教授として招聘される。その後、ハイデルベルグ大学へ移るが、病気に冒される。病気が快復すると1904年にアメリカを妻と旅行する。アメリカの諸教派を観察した後に、『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』を書くようになる。親友であるトレルチやヤスパースと交わる。晩年はウイーン大学、ミュンヘン大学に招聘されるが、1920年、ミュンヘンで当時の流行病であるスペイン風邪による肺炎で亡くなる。56歳であった(註16)。
(註)
(註1)“Die pritestantische Ethik und der Geist des Kapitalismus”MaxWeber, 1920.
『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』マックス・ウェーバー著大塚久雄訳(岩波文庫)1989初版
(註2)筆者はプロテスタンティズムを信仰復興運動と解している。
(註3)『宗教改革からのメッセージ』(改訂版)白砂誠一著 銀河書房 2020
(註4)『ルネッサンスと宗教改革』トレルチ著内田芳明訳(岩波文庫)1959
(註5)トレルチ著(前掲書)
(註6)「M・ウェーバーの方法論と経験の問題」豊泉周治(一橋大学HERMES-
JR 1984)「マックス・ウェーバーにおける客観性の意味」安藤英治
『マックス・ウェーバー研究』大塚久雄、他。共著(岩波書店1965)
(註7)『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』マックス・ウェーバー著大塚久雄訳(岩波文庫)1989 95頁以下を参照。
(註8)『贈訂 宗教改革と近代社会』大塚久雄著 みすず書房 1950
「四」資本主義と市民社会その社会的系譜と精神的性格(95頁以下)を参照
(註9)家系図を参照(本論文文末)。
『マックス・ヴェーバー 主体的人間の悲劇』今野元著(岩波新書)2020年5月20日 第1版発行 (P.VI~V)から引用。
(註10)『マックス・ウェーバー 近代と格闘した思想家』野口雅弘著(中公新書)020年5月20日 初版 77頁を参照。
(註11)ウイリアム・スミス・クラーク(1826~1886)アメリカ人教育者 お雇い役人(註12)“BUSHIDOU The Soul of Japan”新渡戸稲造著 フィラデルフィア1899
(註13)『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』の前半部分をウェーバーがアメリカ旅行をしていた1904年8月~11月に書かれている。
(註14)『社会科学の方法』大塚久雄著 145頁を参照。
(註15)『生活の貧しさと心の貧しさ』大塚久雄著 みすず書房1978を参照。
(註16) 青柳正弘が翻訳・編集している『新潟居留地ドイツ商人 ウェーバーの生涯』ペーター・ヤノハ、青柳正弘著考古堂2014、で紹介しているドイツ商人アルトゥール・リヒャルト·ウェーバー(Arthur Richard Weber,1841~1920)とマックス・ウェ-バ―との縁戚関係は見出せなかった。マックス・ウェーバ-に同姓同名の弟(1877~1952)がいるが*、生存月日が異なる。添付した系図を参照。
Comments