「『「村上基督教会八十年の歩み~明治十一年から昭和三十七年迄~」に紹介された伝道開始記録の真偽についての一考察』第三版」
- 新潟居留地研究会 ホ-ムペ-ジ
- 2024年6月21日
- 読了時間: 3分
パーム宣教師によって撒かれた福音の種は大きく成長して、新潟の地に大きな収穫をもたらした。2019年に新潟開港から150年を迎え新潟市内においては記念式典が行われたが、その前々年、2017年は宗教改革500周であった。さて、新潟居留地研究会が、新潟開港から数えて100年目の2019に発足されて、新潟開港を記念して、2020年に新発田市内にある敬和学園大学で全国居留地研究・新潟大会が開催される予定であったが、明治初期のコレラ感染ならぬコロナ感染が、日本にもその感染に怯えさせる状況が繰り広げられていた為、全国居留地研究・新潟大会は翌年(2021)に延期された。翌年、同大学から発信されたオンライン会議によって、70名程の参加者を得て開催された。それから、同全国大会は毎年、オンライン会議と対面会議を同時開催することによって継続されている。2022年は長崎で、2023は川口(大阪)で開催されて多数の参加者を得た。来年は函館で開催される予定である。偶然であるが、今回の発表論文は日本人が明治初期に経験した感染病に関わる内容になっている。21世紀を迎えた近代化された現代社会にあっても、その当時の人々と同じく感染病の怖さに怯え、人間の無力さを現代人も覚えたのである。150年前に遣わされたパーム宣教師は同じ状況の中、感染症(資料27)に苦しむ新潟の人々に救いの手を差し伸べ、ルターが再発見した福音を伝えたのであった。その経験があって、日本の医療技術が進み今日の近代化された医療をもたらしたことも事実であろう*。また、多くのキリスト教会が新潟に誕生できたのもその蒔かれた福音によると言えるだろう。ただ、感謝しかない。今、世界はコロナ感染が治まろうとしているが、貧しい人々をどん底へと突き落とすかのように、ヨーロッパ大陸でロシアとウクライナが戦禍を起こしている。さらに、中東でイスラエル民族と周辺の民族との極めて深刻な戦争が再び始まってしまった。パーム宣教師(TheobaldAdrianPalm:1848~1928スコットランド人)は、その父とその祖父を海外宣教師に持つスコットランド人である。幼い時はスコットランド一致教会からは派遣された父と共にスリランカで幼少時代を過ごし、少年時代は父の転任先であったオランダで過ごした。青年時代はイギリスのエディンバラ大学で医学を修めた。彼を日本に派遣したのはEdinburghMedicalMissionSociety(E.M.M.S)、エディンバラ医療伝道協会であった。アジアの異教徒の小さな島国に福音と癒しをもたらすために来日してくれたのである。が、最初に結婚した妻と生まれたばかりの子を来日の際に失っている。しかし、それにもかかわらず、その当時最も伝道が困難とされていた北陸地方の新潟に望んで赴任した。パーム宣教師はその後も幾多の伝道妨害の困難を経験したが、新潟に福音の種を蒔いたのであった。それから、150年が経った今、今度は私たちが、そのMISSION(ミッション)に応える時であろう。
祈ろう、主の平和、主の救いを! 2023アドベント 白砂誠一
*(新潟でのパームの医療伝道の歩み)
明治8年湊町3之町ワイコフ宅、明治10年本町通西側吹屋小路下(借地名陶山昶)、明治13年秣川岸2で大火に遭い、明治14年南浜通2でパーム病院を開業、パーム病院では、リスター式消毒、看護師育成、クル病・脚気・ツツガムシ病の報告をしている。パームに学んだ日本人医師は16人。その後、新潟県内にその分院が設けられていく。その分院は、長岡・中条・水原・佐渡・村上・(柏崎)などに設けられた。(本書P.9参照)。(著者:新潟居留地研究会所属)
Comentarios