Nov 18 3 min 新潟居留地事例研究 新潟湊開港に伴うプロ テスタンティズム事 例報告 」新潟居留地研 究会所属 白砂誠一 今回の全国居留地研究会の主題が「医療と福 祉」ということでその主題に関わる 個人的な研究成果として報告したい。 雑居地である新潟で医療の近代化が始まったが、その近代化はエディンバラ医療宣教会( EMMS) から派遣されたスコットランド人、セオボールド・エイドリアン・パーム(Theobald Adrian Palm1848-1929)宣教医師によって新潟県各地に診療所(13箇所)が設けられたが(参照『宗教改革からのメッセージ』― 宗教改革と新潟の近代化― (第三版))、2023年に『「 村上教会基督教会八十年の歩み~明治十一年から昭和三十七年迄に紹介された伝道開始記録についての一考察~』(第二版)*で紹介した伝道開始に関する議論を今回の報告で改めて紹介したい。問題の核心はパーム宣教師と押川方義がそろって村上小町にあった旅籠宿坂田屋で集会(礼拝等)を始めたかどうかである。と言うのは、当時の国内旅行においては、外国人徒歩規定( 25 mile = 40 k m )...
Nov 18 3 min 新潟居留地事例研究 「赤十字精神と明治初期の医療と看護」新潟居留地研究会・白砂誠一 今回のテーマ「医療と福祉」について、新潟港開港(1869/1/1)の直前に、会津戦争で活躍した英国人医師ウイリアム・ウイルス(画像 A)の働きを通して日本のナイチンゲールと呼ばれた新島八重の生涯に大きな影響をもたらしたと筆者は考えている。新島(旧姓山本)八重は 1845 年、会津藩の砲術師範を務める山本家に誕生する。旧幕府軍・奥羽越列藩同盟と新政府軍との内戦である戊辰戦争(1868)が始まるが、最終局面である会津 戦争(1868)において、八重は男装して会津藩の居城である鶴ヶ城に入城し、自ら銃を携えて新政府軍と戦い、戦傷者の救護も行うが、約 一か月の籠城戦の後、会津藩は降伏し戊辰戦争は終結、明治の世となった。兄である山本覚馬はその優秀さを新政府に認められ京都府顧問となり、鉄工所や製紙工場などを運営し、教育にも関わる。1871 年、八重は兄覚馬を頼って京都に移住し、京都府が開設した女子中等教育機関である「女紅場で礼法や機織を教えるとともに英語を学ぶ。そして 1876 ...